うるしバカ物語 その3

日本一のうるしバカを目指す男、なべこと渡邊嘉久です。

 

うるしバカってどんなヤツ『その3』です。

 

初めて公募展に出品したのが平成21年。

その後、同じ日本伝統工芸近畿展に4回出品して入選しています。

私は、日本工芸会近畿支部の漆芸部会研究会員になっています。

日本工芸会には3つの種類の展覧会があり、本展と部会展、支部展という展覧会に応募することができますが、私の場合、今のところ近畿支部展に出品する作品を作るのが精一杯ですが、ゆくゆくは本展や部会展に出品していきたいと思っています。

ちなみに、本展である日本伝統工芸展に4回入選すると日本工芸会正会員となれます。(正会員になるのはかなりハードルが高い)

 

なぜ公募展に応募するのか?
はっきり言って公募展に応募する作品作りには時間とコストがかかります。
時間単価と材料費を計算して価格をつけるとかなり高価なものになってしまいます。
無名の作家の作品なんて売れるわけがありません。
そんなお金にもならないことをなぜするのか、それは作品制作をすることによって技術が向上するからです。
もちろん日々の仕事においても常に技術が向上するように心がけていますがどうしても同じような仕事ばかりしているとマンネリ化してきて向上心も薄らいできます。
しかし公募展に応募することによってより良い作品を作ろうとすると技術向上へのモチベーションが高まります。
また作品には、ただ単に技術が優れていればいいと言うわけではなく、デザイン的なセンスも必要です。
技術とセンスを磨くということで私にとって公募展への出品は漆の仕事をしていく上で非常に大きな意味があります。
ただ、最近は作品制作へのモチベーションが上がらないんですよね。
楽しめてないんでしょうね。この2年半くらい、いろいろあって余裕がないんですね、ちょっと落ち着いたら作品作りを楽しみたいと思っています。
45歳を境に、転機となるようなというより転機にしたいがためにいろいろと取り組むようになりました。
平成22年、株式会社渡邊美術工藝という会社を作りました。
大正13年に祖父が渡邊仏壇店を創業し父の代と80年以上にわたり漆塗りを中心に仏壇の製造販売に取り組んできました。平成9年頃を境に、価値観の変化、生活様式の変化、信仰心の変化などから仏壇の売上は減少するばかり。
長浜のある滋賀県北部は真宗王国で非常に信仰心の厚い地域です。
仏壇は非常に地域性のあるもので、長浜で作られる仏壇は浜壇(はまだん)と呼ばれ、日本でもトップクラスの品質と価格です。景気の良かった頃は、1千万円を超える仏壇の注文もよくありました。
時代の変化、環境の変化にどう対応していくか。
仏壇の需要は減少する一方です。
さいわい、私のところでは祭りに使われる曳山・山車の修復の仕事も手掛けており、平成の大修理と呼ばれるような大規模な修復工事も連続して受注している頃でした。
そのような背景から、山車の修復など文化財修復事業や、漆塗り技術を生かした工芸品の企画製造販売事業にも取り組んでいこうという思いで 株式会社渡邊美術工藝を設立しました。
法人を立ち上げたからといって業務内容が変わったとか営業活動を始めたということはなかったのですが、不思議なことに他地域からの仕事の依頼の割合が増えてきました。(売上の減少は止まりませんけどね)
第2創業の始まりです。

 

 

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昭和38年(1963年)滋賀県長浜市生まれ。 漆塗職人をやってます。お箸お椀から建造物の漆塗りまでオールラウンドにこなします。日本一の漆バカを目指し、日本初のうるしエバンジェリストとして漆の魅力を広く伝えていきます。

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