うるしバカ物語 その5 常喜椀の復刻

日本一のうるしバカを目指す男、渡邊嘉久です。

 

第2創業を目指して会社を立ち上げたからなのか、長浜工芸研究会を立ち上げたからなのか、平成23年頃からうるしに関わる新たな取り組みを始めた。

 

長浜には昔から作られていたが昭和の初期に製造が途絶えてしまっていた『常喜椀』という漆器がある。

平成23年から、その『常喜椀』の復刻に取り組み始めた。

 

長浜には常喜町という地域がある。
昔はその一帯を常喜村と呼び、その地域で常喜椀という漆器が作られていた。
羽柴秀吉(豊臣秀吉)が長浜にお城を築いたときには盛んに作られていたという記録がある。
ちなみに豊臣秀吉が初めて築城したのは長浜だ。
この漆器作りの漆塗りの技術がのちに曳山や仏壇の漆塗りにつながっている。
何年か前に、長浜市史で『常喜椀』のことを知った。
それ以来、常喜椀に関心を持ち、いつかは実物を手に入れ、同じようなものを作ってみたいと漠然と思っていたが、日々の仕事にかまけて実現できないでいた。
長浜工芸研究会の目的が、工芸技術を活用した新商品だったこともあり常喜椀の復刻を手がけたいと強く思うようになった。
何人かの人にそんな話をしていたところ、ある人から長浜市史の常喜椀のことを執筆した人を紹介していただけることになった。
紹介を受けて、その執筆者の方に会いに行き、常喜椀の話を伺うとともに、その方が所有していた明治時代に作られた常喜椀を分けていただけることになった。
その常喜椀は柿渋を塗った上に漆が塗られているもので、高級漆器というわけではないが、庶民が冠婚葬祭用に家の道具として揃えたものの一部であろうと思われた。
形も昔からある形で特別に特徴のあるものではないが、手になじむ持ちやすいお椀だ。
手に入れた明治時代の常喜椀をもとに同じ形で常喜椀を復刻してみた。
現物から図面を起こし、椀木地師にろくろで木地を挽いてもらった。
柿渋を塗った上に漆を塗るのは、耐久性が落ちるため、何度も漆を塗り重ねることに。
最初に作った復刻常喜椀は4年近く自分で使っている。
毎日使っているが、割れたり漆が剥げたりすることもなく、いい感じにツヤが出てきた。
毎日の食卓には欠かせないものの一つになった気がする。
平成25年の3月に自分の個展をギャラリー八草で開催し、その時に復刻『常喜椀』を発表した。
地元の新聞や情報誌にも常喜椀のことを取り上げてもらって、少しは常喜椀のことを知っていただけるようになったが、知名度はまだまだだ。
長浜でも昔から漆器が作られていたことを一人でも多くの人に知っていただきたいと思う。
それがきっかけで漆器を使ってくれる人が一人でも増えればなおいい。
漆器を毎日使えば、必ずうるしの良さをわかっていただけると思う。

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昭和38年(1963年)滋賀県長浜市生まれ。 漆塗職人をやってます。お箸お椀から建造物の漆塗りまでオールラウンドにこなします。日本一の漆バカを目指し、日本初のうるしエバンジェリストとして漆の魅力を広く伝えていきます。

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