漆の木を増やそう
広大な土地が手には入ったら何をする?
僕の答えは「漆の木を植える」
植物学者牧野富太郎をモデルにした
朝の連続ドラマ『らんまん』も
残すところあとわずか
最終週の今週月曜日は
主人公万太郎の妻寿恵子が
東京の郊外大泉に広大な土地を購入して
そこに植物園をつくるというところから始まった
テレビを観ていて
いま自分が広大な土地を手に入れることができたら
「漆の木を植えたい」と思った
なぜ漆の木を植えたいのか?
簡単に言うと
長年漆の仕事をしてきたこともあり
漆への愛着があるからだ
昔から好奇心が強く
漆の仕事をしているからには
もっと漆のことを知りたいという思いで
今から13年前に
岩手県二戸市浄法寺に
1週間滞在し漆掻きの研修を受けた
浄法寺に滞在中に
漆掻きの職人をしながら
漆苗の漆苗の生産もしている人と会話する機会があった。
その時に1990年頃に滋賀県に漆の苗を送ったことがあると言う話を聞いた。
無理を言って昔の伝票を調べてもらい
滋賀県のどこに漆の苗を送ったのかを調べてもらった
うる市内の送り先は、長浜市北部の余呉町の生産森林組合だった
浄法寺から長浜に帰った僕は
人づてにその生産森林組合の人を紹介してもらい
連絡をとった
1990年頃に漆苗を植えたのは事実だが
すぐに枯れてしまった
とのことだった
現場を見せてもらったときに
雑談で
1950年頃までは
余呉町内のいたるところに漆の木があり
夏になると
福井県から漆掻きの職人が
泊まり込みで来ていた
という話を聞いた
それから
余呉での漆の木探しが始まった
そして
余呉漆を復活させたいという思いを持つようになった
4年前には
西浅井の知人の土地に
50本ほどの漆の木を植えさせてもらったが
獣害などがあり
うまく育っていないのが現状だ
今は
西浅井の漆植栽地の草刈りと
余呉に昔から残っている漆の木の下草刈りなど
保全活動を細々とやっている
なかなか思うようにいってないが
長浜に滋賀に
漆の木を増やす活動は
自分のライフワークだと思っている
だから
広大な土地がほしい
そこに漆の木を植えたい
浄法寺に滞在中に
漆掻きの職人をしながら
漆苗の漆苗の生産もしている人と会話する機会があった。
その時に1990年頃に滋賀県に漆の苗を送ったことがあると言う話を聞いた。
無理を言って昔の伝票を調べてもらい
滋賀県のどこに漆の苗を送ったのかを調べてもらった
うる市内の送り先は、長浜市北部の余呉町の生産森林組合だった
浄法寺から長浜に帰った僕は
人づてにその生産森林組合の人を紹介してもらい
連絡をとった
1990年頃に漆苗を植えたのは事実だが
すぐに枯れてしまった
とのことだった
現場を見せてもらったときに
雑談で
1950年頃までは
余呉町内のいたるところに漆の木があり
夏になると
福井県から漆掻きの職人が
泊まり込みで来ていた
という話を聞いた
それから
余呉での漆の木探しが始まった
そして
余呉漆を復活させたいという思いを持つようになった
4年前には
西浅井の知人の土地に
50本ほどの漆の木を植えさせてもらったが
獣害などがあり
うまく育っていないのが現状だ
今は
西浅井の漆植栽地の草刈りと
余呉に昔から残っている漆の木の下草刈りなど
保全活動を細々とやっている
なかなか思うようにいってないが
長浜に滋賀に
漆の木を増やす活動は
自分のライフワークだと思っている
だから
広大な土地がほしい
そこに漆の木を植えたい
浄法寺に滞在中に
漆掻きの職人をしながら
漆苗の漆苗の生産もしている人と会話する機会があった
その時に1990年頃に滋賀県に漆の苗を送ったことがあると言う話を聞いた
無理を言って昔の伝票を調べてもらい
滋賀県のどこに漆の苗を送ったのかを調べてもらった
漆苗の送り先は
長浜市北部の余呉町の生産森林組合だった
浄法寺から長浜に帰った僕は
人づてにその生産森林組合の人を紹介してもらい
連絡をとった
1990年頃に漆苗を植えたのは事実だが
すぐに枯れてしまった
とのことだった
現場を見せてもらったときに
雑談で
1950年頃までは
余呉町内のいたるところに漆の木があり
夏になると
福井県から漆掻きの職人が
泊まり込みで来ていた
という話を聞いた
それから
余呉での漆の木探しが始まった
そして
余呉漆を復活させたいという思いを持つようになった
4年前には
西浅井の知人の土地に
50本ほどの漆の木を植えさせてもらったが
獣害などがあり
うまく育っていないのが現状だ
今は
西浅井の漆植栽地の草刈りと
余呉に昔から残っている漆の木の下草刈りなど
保全活動を細々とやっている
なかなか思うようにいってないが
長浜に滋賀に
漆の木を増やす活動は
自分のライフワークだと思っている
だから
広大な土地がほしい
そこに漆の木を植えたい