竹中半兵衛と常喜椀
日本一のうるしバカを目指す男、うるしエバンジェリストの渡邊嘉久です。
先日のブログで昔から長浜で作られていたお椀『常喜椀』のことを書きましたが、実は常喜椀は戦国武将の竹中半兵衛と密接な関係があります。
黒田官兵衛と並ぶ戦国時代の名軍師・竹中半兵衛は、天文13年(1544年)、美濃斎藤氏の家臣・大御堂城城主・竹中重元の子として生まれました。
竹中半兵衛は20代の一時期隠棲して長浜の常喜の地に身を寄せていました。
この時に常喜の人から受けた恩に報いるために、半兵衛は常喜椀を買い求め続けたそうです。
長浜城主の秀吉や半兵衛は毎年正月には新調した常喜椀で年賀の餅を食べた、とされています。
半兵衛の子、重門は秀吉に仕えていたが、関ヶ原合戦の際には徳川方に味方した。
後に六千石を領有し、美濃国不破郡岩手村(岐阜県垂井町)に陣屋を構えた。
江戸時代を通じて、半兵衛の子孫は毎年歳暮には常喜の円法寺より常喜椀を購入して竹中家の家臣に配った、と古文書にも記載されています。
その子孫は今でも、常喜のお寺に参詣に来られるそうです。