箱根駅伝から刺激と勇気を与えられる

毎年正月2日には箱根駅伝の往路が行われる。
歳を重ねるほどに涙腺がゆるんでくるのか、今日も箱根駅伝を見ていたら思わず目頭が熱くなって涙がこぼれそうになってしまった。

 

1区スタート後間もなく大東文化大学の新井選手が転倒というアクシデント。
すぐに立ち上がり走り出すも、どう見ても足に異常の感じられる走り方。
必死に集団についていこうとするが徐々に集団から遅れはじめる。
顔をしかめながらも懸命に走る新井選手。

個人のレースなら棄権するであろうシュチュエーション。
しかし駅伝は個人競技ではなく団体競技。
チームのために、タスキをつなぐためにという想いを持ってどの選手たちも走っている。
新井選手の走りをテレビで見た限りあの状態で残りの20km以上を走りきるのは難しいのではと多くの人が思ったことだろう。
選手にとっては悔しいだろうが、大東文化大学は1区で棄権だな、と僕も思った。
しかし新井選手は1区の21kmあまりを見事走りきった。
それも繰り上げスタートが行われることなく所定の時間内に走りきった。
そのシーンをテレビで観ていた僕はこぼれる涙を抑えることができなかった。

 

毎年いろんなドラマが箱根駅伝では繰り広げられる。

箱根駅伝でタスキをつなぐことを目標に日々の苦しい練習に耐えている選手たち。
どの選手も最初はチームのためとかタスキをつなぐためとか思って長距離走を始めたわけではないはずだ。
走ることが得意だから、誰よりも速く走ることが気持ちいいから、走った後の爽快感がたまらないからといった個人的な理由から走り始めたことだろう。
それが、仲間とともに共通の目標のために厳しい練習を重ねるうちにタスキをつなぐためにチームのためにという感情が芽生えてくる。

自分一人のためにやっているだけでは乗り越えることができない壁。
その壁も、タスキをつなぐためにチームのためにといった使命があると乗り越えることができる。
箱根駅伝を走る選手たちから毎年大きな刺激と勇気を与えられる気分だ。

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昭和38年(1963年)滋賀県長浜市生まれ。 漆塗職人をやってます。お箸お椀から建造物の漆塗りまでオールラウンドにこなします。日本一の漆バカを目指し、日本初のうるしエバンジェリストとして漆の魅力を広く伝えていきます。

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