幻の山鉾連合会総会 技術者会研修会で話したかったこと1

新型コロナウイルスの影響で、この春に予定していたいろんな予定が中止になったり延期になったりした。

中止になった予定の一つが、全国山鉾連合会総会だ。

全国の重要無形民俗文化財に指定されている山車祭の関係者による総会で、今年は長浜で開催されることになっていた。

長浜曳山まつりに合わせて、4月13日14日に開催されるはずだった。

その総会のに合わせて開催予定の山鉾連合会の下部組織あたる祭屋台等製作修理技術者会の研修会も中止になった。

祭屋台等製作修理技師者会は文字通り山車の修復に従事する技術者の組織で文部科学大臣認定の国の選定保存技術保存団体だ。

今年の技術者会の研修会では基調講演に続いて地元長浜の技術者のパネルディスカッションを予定していて、そこに私も出る予定だった。

私は、そのPDで《技術技能向上のために日頃取り組んでいること》と《後継者育成について考えている》ことを話そうと思っていた。

備忘録をかねて、パネルディスカッションで話そうと思っていたことをこのブログに記しておきたいと思う。

《技術技能向上のための日頃の取組み》について

私の漆塗りの主な仕事は仏壇の漆塗り(だった)。

この仕事についた30年近く前は景気もよく漆塗りの仕事も多忙を極め、漆の下地、塗り、呂色などそれぞれの工程で数多くの経験を積むことができた。

若い頃に数をこなした経験が職人としての基盤になっていることは間違いない。仏壇業界の好景気も過去の話で、現在は仏壇関係の仕事は最盛期の何分の一かに落ち込んでしまった。

仏壇の仕事で自分の職人としての基盤が築かれたわけだが、それだけでは井の中の蛙になっていたかもしれない。

私の父は漆塗りの職人だったが一時公募展に出品する作品を作る作家活動もおこなっていた。私が漆塗りの仕事に就いた理由の一つがそこにある。父が作品づくりをする姿がクリエイティブに感じられたからだ。

父が亡くなってから自分も公募展に作品を出品してみたくなり、作品づくりに取り組むようになった。

40代も半ばに差し掛かった頃から漆芸作品づくりを学び、日本工芸会の主催する公募展に出品するようになった。

その経験によって自分の知識のなさ技量の低さを思い知ることができ、それがさらなる向上心に結びついたことは間違いない。

また、そのような活動を通してご縁をいただいた人との交流やその関係でご縁をいただいた仕事の経験も自分の技量を大きく向上させてくれた。

山車の修復の仕事を通しても、「より良い修復とは?」と常に自分に問いかけて試行錯誤を繰り返してきたことが今につながっている。

長浜の曳山の修復では、学識経験者、ご町内、行政、施工業者による修理委員会が組織され、その修理委員会で修復の方向性や技法などが検討される。修理委員会での学識経験者の先生方のご指導があったからこそ、向上心を持ってより良い修復に向けて様々なことに取り組めたものと思っている。

まだまだ発展途上だが、現状に満足することなく向上心、好奇心を持って仕事に取り組んできたことが、絶滅危惧種のような業界でも運良く仕事を続けられている要因かなと思っている。

《後継者の育成について》は次のブログで

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昭和38年(1963年)滋賀県長浜市生まれ。 漆塗職人をやってます。お箸お椀から建造物の漆塗りまでオールラウンドにこなします。日本一の漆バカを目指し、日本初のうるしエバンジェリストとして漆の魅力を広く伝えていきます。

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