海洋堂創業者が52年前からやっていることはエクスマ的

長浜商工会議所と長浜まちづくり会社が共催のセミナーに行ってきました。

チラシに書いてあったタイトルは『創業から世界的企業に』。

会場の垂れ幕のタイトルは『八十八歳は夢見る小僧』。

講師はフィギュアで有名な海洋堂の創業者で海洋堂フィギュアミュージアム黒壁 館長の宮脇修氏。

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いいセミナーでした。

宮脇氏は88歳とは思えないような人です。

マイクは手に持っているものの、ただ持っているとい感じで、マイクを通さずに約100名の参加者に話しかけられます。

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興味深い内容の話をされます。

話を聞いてみると、エクスマ的なことを実践されておられるんです。

エクスマというのはエクスペリエンスマーケティングのことで『モノを売るな体験を売れ』という考えのマーケティング思想です。

詳しくはこちら

 

海洋堂は52年前の1964年に大阪の守口で創業されました。

1坪半のプラモデル屋からのスタートです。

最初の頃、宮脇氏が悩み考えたのが「感謝の気持ちをどのように伝えれば良いのか?」ということ。

 考えた末にわたしは、毎日商いが終わってから、今日来たお客さんを思い浮かべ、明日来るであろうお客に対して、伝える言葉をガリ版刷りにして、それを翌日に配ることにいたしました。また表にある立て看板二枚、一つはベニヤ板一枚、もう一枚はその半分にも、毎日新しい商品の案内や、店主としての思いなども綴りました。

(「海洋堂の50年を振り返って」宮脇修)

看板が評判になりプラモデル屋として人気を集めるようになったそうです。

1坪半の小さな海洋堂は、3年後には15坪の広さのモケイ店となりました。

その頃のモケイ店では珍しい、完成品の作品展示するウインドウを片側の壁いっぱいに設けました。そして夏になれば、ボートや潜水艦などを走らせて遊べるモケイプールを作りました。秋から冬になると、プールの上に戦車を走らせる戦車コーナーを設け、その砂漠などのジオラマには、100発の地雷を埋めて、爆発させる装置をつくり、戦車の売り上げ日本一を続けました。

商いの基本は「子供達に楽しんで頂くためには、顧客に喜んで頂けるためには、何をすれば良いか?」を真剣に考え、それを実行すればよいのです。そうすれば、必ずお客さんの方から後押ししてくださるでしょう。それは現在も変わらない私のモノづくりの基本であります。

まさにエクスマ的。

1坪半のプラモデル屋から始まって、今や独自性のある世界的な企業へと発展して行ったのは宮脇氏が、顧客に喜んで頂くためには何をすれば良いか?を真剣に考え実行してこられたからに他ありません。

驚いたことに、宮脇氏はほぼ毎日ブログを更新しておられます。

88歳の人がですよ。

講演の中で「毎日便箋2枚くらいのブログを書いている」と話されたので、すぐに宮脇修 海洋堂 ブログで検索してみたらありました。

便箋の手書きです。

便箋の下の方にはテキストでも書かれています(おそらくスタッフが更新されているのでしょう)。

負けてられませんよね。88歳の爺さんに(笑)

ハイ、僕も真面目にブログ更新します。

 

ちなみに、宮脇氏は『創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある』という本も出版されています。

一読の価値ありだと思います。

現在は絶版になっているようですが、中古本で購入することができます。

僕はもちろんセミナー中に注文完了しました。

 

セミナーに参加していい話だった、共感した、感動しただけで終わったらもったいないですよね。

何もしなかったら行かなかったも同じです。

そこで感じたことを実践しなければ意味がない。(自戒)

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昭和38年(1963年)滋賀県長浜市生まれ。 漆塗職人をやってます。お箸お椀から建造物の漆塗りまでオールラウンドにこなします。日本一の漆バカを目指し、日本初のうるしエバンジェリストとして漆の魅力を広く伝えていきます。

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