一宿一飯の恩義にあずかった思い出

国道の歩道を歩く僕を追い抜いていったセダンは50mほど行ったととろで停まった。
助手席から西洋人であろう背の高い男性が降りてきて、僕に向かって何か言っている。
距離が近づくにつれ男性が言っていることが聞こえてくる。
「どこまで行きますか?今日はどこに泊まりますか?」
キョトンとしていると、またその男性がけっして流暢とは言えない日本語で話しかけてくる。
「私の家に泊まっていきませんか?」
「私は、昨日もあなたが歩いているところを見ました。」
声をかけられたのは静岡県島田市の国道1号線。
話を聞いてみると、昨日も磐田市付近を歩いている僕を見かけたそうだ。
東海道を歩いているんだろ、それならうちに泊まっていったらどうかと言ってくれる。

もう30年以上前のことになるので記憶が定かではない部分もあるが、十代最後の夏、京都から東京までの東海道を赤いフレームザックを背負って僕は歩いていた。
その当時、僕が住んでいたのは京都上賀茂の洛北の山がすぐ近くにあるところだった。
共同トイレ、共同風呂、四畳半一間の学生アパート。
前期試験が終了し夏休みに入って数日たったころだったと思う。
7月の終わりの昼下がり、アパートの前の志久呂橋のバス停から乗った京都バスに揺られて三条京阪に向かった。

三条京阪のすぐ横にある鴨川三条大橋を後にしたのは、静岡県で西洋人の男性に声をかけられた8日くらい前だった。
その間、乗り物に乗ることもなく野宿をかさねて静岡県までたどり着いた。

西洋人の男性が流暢でない日本語で話していると、車の運転席から日本人の女性も降りてきた。
西洋人の男性と日本人の女性は夫婦だった。
その女性も家に泊まっていったらと言ってくれる。
途中で車に乗ると東海道を踏破したことにならないからと躊躇すると、明日の朝には同じところまで送り届けるからと言ってもらったので、その夫婦の家に泊めてもらうことになった。
車の中には2~3才くらいの男の子が乗っていた。

車の中でいろいろ会話をした。
夫婦は何年か前にそれぞれヨーロッパを単独で旅している時に出逢ったこと。
僕は京都の大学に通う大学生だということ。
昨日赤いフレームザックを背負っている僕をみて、ヨーロッパを旅していたことが懐かしくなったということ。
今日また赤いフレームザックを見て、昨日の彼に違いない、これも何かの縁よねと夫婦で家に泊めることを即決したこと。
お互いのことをそれぞれ話した。

ほどなくして一軒家に車は着いた。
あたりはすでに薄暗くなるころだった。
風呂に入り、夕食をごちそうになった。
カレーライスようなものとビールをいただいたような記憶がある。
何を話したかも覚えてないが、それぞれの旅のことなどを話していたのではないだろうか。

翌朝、朝食をいただいた後、昨日の場所まで車で送ってもらいその夫婦と別れた。
そしてまた、東京日本橋に向けて歩を進めた。

まだ言葉がおぼつかない小さな子供が、パパはね毎日ママのオッパイチュウチュウしてるよ、と言っていたことをなぜかよく覚えている。

その夫婦には、長浜の実家に戻ってから礼状を出したが、その後交流はない。
十代最後の貴重な経験だった。

先日、見ず知らずの人に泊まっていってもらったことで、昔のことを思い出した。

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昭和38年(1963年)滋賀県長浜市生まれ。 漆塗職人をやってます。お箸お椀から建造物の漆塗りまでオールラウンドにこなします。日本一の漆バカを目指し、日本初のうるしエバンジェリストとして漆の魅力を広く伝えていきます。

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