僕が余呉漆の復活に取り組むわけ〜その1

日本産漆の国内最大の産地は岩手県二戸市の浄法寺というところだ。
僕が初めて浄法寺の地を訪れたのは今から12年前の早春の頃だった。
その年、僕は文化庁の新進芸術家国内研修制度の研修生に選ばれていた。
自分は職人であって芸術家だなんて一度も思ったことはないが、所属している祭屋台等製作修理技術者会(選定保存技術保存団体)の枠で、その研修生に選ばれた。
研修生に選ばれると、芸術家として研鑽するための補助金をいただけるわけだ。僕は漆芸家?としての技術とセンスを磨くための研修を自ら企画し貴重な体験を積ませていただいた。
作品や試作品作りに取り組んだり、いろいろな素材を購入しそれを比較検討する研究?をしたり。漆芸の技術を学んだりした。その研修の一環で日本産漆の生産地である浄法寺を訪れ、日本産漆についての造詣を深めた。
12年前に浄法寺を訪れた時に、ある施設でひとりの若手漆掻き職人と知り合い、その若手職人から彼が採取した漆を分けてもらった。
その若手職人の漆を使ってみて、ある意味衝撃を受けた。
今まで僕が漆屋さんで購入していた日本産の漆とは違うものだったのだ。
その時の衝撃と疑問が、僕の漆への探究心に火をつけたのだった。
火がついたといってもすぐに炎上することはなく、仕事が忙しいという理由でくすぶり続けていたのだが。
くすぶり続けていた漆への探究心も4年の月日を経ても消えることはなかった。
今から8年前に浄法寺の漆関係者に頼み込んで、1週間の漆掻き短期研修に参加させてもらえることになった。
8年前に浄法寺の漆掻き短期研修に参加したことが、今の余呉漆復活プロジェクトの発端だった。
1週間浄法寺の民宿に泊まり込んで、昼間はベテラン漆掻き職人について漆掻きの様子を見学したり、長期研修生の漆掻きに同行して漆掻きを体験させてもらったりした。

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ある漆掻き職人と話をしていて、「お前どっからきたんだ?」と聞かれ滋賀県から来たと伝えると、「たしか20年ほど前に滋賀県に漆の苗木を出荷したことがあるけど、どうなってるかな?」という話になった。
その話に興味がわき、その当時苗木を出荷したとされる資料を調べてもらった。その資料には、たしかに滋賀県余呉町の中之郷森林生産組合に苗木を出荷したという記録が残されていた。
その余呉の漆の木はどうなったのか?ずっと気になっていた僕は、浄法寺から長浜に帰ってすぐに余呉町の中之郷森林生産組合の関係者を探した。
事情を話し、漆を植栽した話を聞き、漆を植えたとされる場所に案内してもらった。
その場所には残念ながら漆の木は見当たらなかった。様々な理由で木が大きくならないうちに枯れてしまったようだ。
その時に、昭和20年代頃までは余呉地区に漆の木が多くあり、夏場になると越前から漆掻きの職人が来て泊まり込んで漆掻きをしていた話を聞いたのだ。

 

まだ山の中には漆の木が残っているに違いない。
漆の木を探そう。その余呉の漆の木から漆を採取しよう。地元で採れた漆を使って仕事してみたい。
余呉漆復活に向けて僕の心に火がついた瞬間だ。

つづく

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昭和38年(1963年)滋賀県長浜市生まれ。 漆塗職人をやってます。お箸お椀から建造物の漆塗りまでオールラウンドにこなします。日本一の漆バカを目指し、日本初のうるしエバンジェリストとして漆の魅力を広く伝えていきます。

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