僕が余呉漆の復活に取り組むわけ〜その2

余呉に昔は漆の木がたくさんあった。

そんな事実を知った僕は、なんとか漆の木を見つけて余呉で漆掻きをしてみたいという欲望にかられた。

当初は漆の木を増やしたいというより漆掻きをしたいという気持ちの方が大きかった。
余呉に漆の木がどれくらい残っているかもわからない時にだ。
むかし越前から職人が来て漆掻きをしていたくらいだから、結構な数の漆の木が残っているんじゃないかという甘い期待を抱いていたのは事実だ。

その当時、漆塗りの仕事を20年ほどやってきたにもかかわらず、漆の樹液が採れる漆の木をじっくりと見たのは浄法寺に行っていた1週間だけだ。

まだ漆の木に対して目が肥えていない僕にとって、山に生えている漆の木を判別することはその当時無理だった。
どうやって漆の木を見つけよう。

長浜に村瀬先生という植物の専門家がおられる。僕はその先生とは面識がないが、仕事で家にお邪魔したことがあるので、村瀬先生のお宅を訪ね事情を話し余呉の山中に一緒に漆の木を探しにいってもらえないかとお願いした。

村瀬先生は快諾してくださり、後日余呉に漆の木を探しに行くことになった。
すでに秋も深まりつつある時で、余呉の山の木々は色づき始めるところだった。

村瀬先生によると、むかし摺墨(するすみ)という集落に漆の木があったとのこと。

上丹生という集落から谷筋を入っていく。
20代の頃にはトライアスロンの練習でロードレーサーに乗ってよく余呉の地を訪れていたが、摺墨の集落を訪れるのは初めてだった。
集落を通り抜け少し奥まで行ってみたが摺墨では漆の木を見つけることはできなかった。

気を取り直して上丹生の集落に戻り、再び高時川沿いを上流に向かって車をゆっくりと進ませ漆の木を探した。

漆の木かと思って車を降り近づいてよく観察してみるとくるみの木だった。
そんなことの繰り返しで、菅並の集落を抜け丹生ダム建設予定地だったあたりまで来ていた。

川べりに降りられるところがあった。車を降り川べりの草むらを進むとそこに大きな木があった。
村瀬先生はその木を見るなり、これは漆の木ですよと言った。
直径50cmはあろうかという漆の木としては大木といえる木だ。
僕にとっては余呉漆の木との初めての出会いだった。
素直に嬉しかった。
恋い焦がれた人にやっと出会えた感じだろうか。

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その漆の大木の奥にも2本の漆の木があった。

その後も漆の木を探すべく、高時川沿いを中河内まで行ったが、そのとき見つかった漆の木は丹生ダム建設予定地だったところの3本のみだった。

つづく

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昭和38年(1963年)滋賀県長浜市生まれ。 漆塗職人をやってます。お箸お椀から建造物の漆塗りまでオールラウンドにこなします。日本一の漆バカを目指し、日本初のうるしエバンジェリストとして漆の魅力を広く伝えていきます。

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