彼は命の恩人だった

ある保険営業マンとの出会い

 

6年半くらい前にある保険営業マンとの会うことがなかったら既に僕はこの世にいなかったかもしれない。

 

テレビで「白い巨塔」が放送されていた。

6年前に大腸ガンの手術である大学病院に入院していた時にも、毎週月曜日の朝だったと思うが教授回診があり大勢の医師や看護師がゾロゾロと病棟内を練っていたことを思い出した。

あの看護師さんは元気にやっているだろうかなど、入院していた頃を懐かしく思い出した。

それとともに思い出したひとりの男性。

その男性は外資系保険会社の営業マンだった。

以前、知人が外資系の保険会社に勤務していた頃に契約した保険があった。

その知人はすでに保険会社を辞めていたのだが、その後任の担当として仕事場に僕を訪ねてきた。

アポのない突然の訪問だったが、僕も仕事場にいたので、その彼と話をした。

彼の訪問の目的は、担当になったことの挨拶と保険の見直しをしないかという提案のためだった。

時間の余裕もあったので、彼の提案を聞いた。

なぜかすぐに保険見直しの提案を受け入れようと心が動いた。

健康診断が必要な生命保険だった。

その時、気にかかることを思い出した。

数ヶ月前に受けた健康診断の検便で引っかかっていたのだ。

健康診断で引っかかっていることを彼に伝えた。

彼は、「早く精密検査を受けてきてください」と答えた。

 

それから数日後、地元の総合病院を受診した。

大腸内視鏡検査をしたほうがいいということになり、内視鏡検査の予約を入れた。検査は1カ月ほど先しか空いてなかった。

保険営業マンの彼も保険の提案書を作って説明に来てくれた。

内視鏡検査の日程を伝え、検査後に契約をする約束をした。

大腸内視鏡検査。

素人の僕でもわかるような化け物のような物体がそこに存在した。

「ガンならガンて言うてくださいね」と医師に伝える。

医師は「病理検査をしてみないとなんとも言えません」と答えた。

検査結果を聞く診察は1ヶ月後にしか予約できなかった。

 

保険営業マンの彼は検査後にやってきたが、検査結果がわかるのはまだ先になることを伝えた。

 

自分の中では、あの化け物のような物体はガンに違いないと思っていた。

ガンなら診察日を待たずして病院から連絡があると思っていたので、診察日が近づくにつれ、ガンではなかったんじゃないかという甘い思いも持つようになった。

 

診察日、診察室に呼ばれる。

医師はパソコンの画面で僕のカルテを眺める。

「あっこれはガンですね」と僕がガンだったことをはじめて知ったような感じで言った。

すぐにCT検査と外科医の診察が用意された。

内視鏡検査から1ヶ月も時間があったので、僕も自分なりに自分の病気のことを調べることができた。

ガンだった場合、特殊なケースだということを理解していた。

地元の総合病院の外科医は、特殊な手術になることを僕に伝えた。

その特殊な手術の経験はあるのかと尋ねたら、経験はないが自分にもできると答えた。

僕は自分で調べておいた症例の豊富な県外の大学病院への転院を希望し、その手続きをお願いした。

 

2日後に県外の大学病院の診察を受けた。

その大学病院で手術を受けることを決めた。

診察日から1ヶ月あまりで大学病院で手術受けた。

今から6年前のことだった。

 

僕に精密検査を勧めてくれた保険営業マンの彼と保険の契約を結ぶことはなかった。

彼との出会いがなかったら、僕は精密検査を受けなかったかもしれなかった。

健康診断の結果をそのままにして精密検査を受けなかったら、僕はすでにこの世にいなかったかもしれない。

彼は僕の命の恩人だった。

彼はほどなくして、その外資系の保険会社を辞めたようだ。

不思議な巡り合わせだった。

彼が今どこで何をしているかわからない。

恩返しはできなかった。

直接恩返しはできなかったが、世のため人のために僕ができることをコツコツとやっていくことが恩送りということなんだろうと考えている。

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昭和38年(1963年)滋賀県長浜市生まれ。 漆塗職人をやってます。お箸お椀から建造物の漆塗りまでオールラウンドにこなします。日本一の漆バカを目指し、日本初のうるしエバンジェリストとして漆の魅力を広く伝えていきます。

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