彷徨える漆職人 4

第2創業とは名ばかりで、新たな事を始めたわけではないので、業務内容が変わったというわけではありませんでした。

しかし、将来に対する強い危機感はあります。
新しい法人の設立とほぼ同じ時期に始めたことがあります工芸ギャラリーの運営です。
長浜市の中心市街地活性化の一環で長浜八幡宮の近くのエリアをアートや工芸で町おこしをしようとする構想があり、空家になった町家を改装しアートや工芸で活用したい人間に貸出すというプロジェクトがありました。
その話を聞いたとき直感的に工芸ギャラリーとして活用したいと思い、町家の一つを借りることに。

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いろんな事情があったのと自分ひとりでは不安だったので、長浜工芸研究会という組織を立ち上げて、仲間で共同で運営していくというスタイルをとりました。
長浜で活動する職人や作家に声をかけ工芸研究会をスタートさせました。
ただ単に工芸ギャラリーをオープンするだけではなく、新しいものづくりをする拠点にしたいという思いもありました。
工芸と言われる分野はどの分野も安い海外製品や機械で作る大量生産品におされてて厳しい状況に置かれています。

このままでは、地域に根ざした工芸の技術が廃れていってしまいます。

今まで培ってきた技術を残していくためには、現代の生活にマッチしたものにその技術を応用していかねばなりせん。

長浜工芸研究会では、お互いに協力し合いながら新商品の開発や情報発信に取り組み、ギャラリーをアンテナショップ的に活用することを考えていました。

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ギャラリーの名前は『八草』としました。やつぐさと読みます。

「八」は末広がりで縁起が良いとされ、数が多い、たくさんという意味もあります。

「草」には、地道に活動する職人や工芸家の意味を込めました。

多くの地道に活動する職人や工芸家が活躍できる場にしたいという思いから『八草』と名付けました。

 

しかし、長浜工芸研究会がうまく機能することはありませんでした。

リーダーであった私のリーダーシップ不足が原因です。

結局、私一人で長浜工芸研究会とギャラリー八草を運営することに。

 

本業との掛け持ちで頑張っていたつもりでしたが、成果を出すことができずに5年間の営業を区切りとして、平成29年3月をもって長浜八幡宮前でのギャラリー八草の営業を終了しました。

5年間のギャラリーを経営した経験は、いろいろな気づきがあり貴重なものとなりました。

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昭和38年(1963年)滋賀県長浜市生まれ。 漆塗職人をやってます。お箸お椀から建造物の漆塗りまでオールラウンドにこなします。日本一の漆バカを目指し、日本初のうるしエバンジェリストとして漆の魅力を広く伝えていきます。

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