余呉漆について情報がありました

日本一のうるしバカを目指す男、うるしエバンジェリストの渡邊嘉久です。

 

ちょっと前のブログで長浜市の北部で昔採取されていた余呉漆のことを書き、それをFacebookでシェアしたところ、それが地元ローカル夕刊紙に掲載されました。

その夕刊紙をご覧になった方から興味深い情報をいただきました。

 

今日、仕事場に一人の女性が訪ねてこられました。

先日の余呉漆についての記事を読んで、知らせたいことがあるとのこと。

話を聞いてみると、その女性の実家は余呉にあり、60年近く前福井県から職人が実家に泊まり込んで漆掻きをしていたのをよく覚えていると教えたいただきました。

当時は、川の土手沿いや田んぼの畦にも漆の木がかなり植えられていたらしい。

福井県から来られていた職人は当時十代後半で、その後鯖江市の河和田で越前漆器の職人として漆塗りの仕事に就かれたいう話まで教えていただきました。

フルネームも覚えておられたので教えていただき、福井県の漆関係の知人に尋ねたところすぐに連絡先がわかりました。

 

早速電話して、こちらの事情を伝え話を聞いてみました。

その男性が、余呉に漆掻きに来られていたのは1シーズンだけだったとのこと。

長崎国旗事件の影響で中国産の漆が輸入されなくなり漆の入手が困難になったため、余呉に漆掻きに行ったことを教えてもらった。

長崎国旗事件は昭和33年(1958年)の出来事で2年半にわたって貿易が停止されていたらしいので、男性が余呉に来られていたのはおそらく昭和34年か35年のことだと思う。

男性は、6月から9月ごろまで余呉の民家の離れに住み込んで漆掻きをしてました。

掻いた漆の木は約400本で、一日約100本の漆の木を掻いてローテーションしていたそうです。

採れた漆は全部で10貫目ほど、1貫目は3,75kgなので37,5kg。

今の価格でいうと約200万円弱くらいの値段になる。

 

男性の耳が遠く電話での会話だったので思うように会話が捗らなかったので、3月になってからの訪問を約束して電話を切りました。

 

男性の話から推測すると、おそらく昭和33年当時はすでに余呉漆の漆かきはされていなかったのではないかと思われます。

長崎国旗事件で漆の入手が困難になって、以前漆掻きが行われていた余呉の漆の木が放置されていたがために男性が福井からやってきて漆掻きをおこなったのではないでしょうか。

 

余呉漆のことがちょっとずつわかってくるのは嬉しい。

 

ブログ、Facebookからマスコミ、そこからまた新たなつながりが広がっていく。

面白い世の中になってきた。

 

 

 

 

 

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昭和38年(1963年)滋賀県長浜市生まれ。 漆塗職人をやってます。お箸お椀から建造物の漆塗りまでオールラウンドにこなします。日本一の漆バカを目指し、日本初のうるしエバンジェリストとして漆の魅力を広く伝えていきます。

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