彷徨える漆塗り職人 1

彷徨える漆塗り職人1

職人というと、この道一筋というイメージがありますが、僕の場合この道一筋ということはなく特に若い頃は曲がりくねった平坦ではない道をくねくねと時には引き返してみたり、いろいろあって現在に至っています。

彷徨える漆塗り職人シリーズでは、今までを振り返って経歴というか彷徨いぶりを紹介していきたいと思っています。

昭和38年(1963年)長浜市生まれ。

高校卒業まで長浜市で暮らす。

勉強ができるわけでもなく、スポーツができるわけでもなく、何をやっても長続きせず中途半端な子供でした。

高校卒業後は、京都の大学に進学。

勉強はほとんどせずにアルバイトに明け暮れる日々。

大学卒業後は滋賀県内の銀行に就職。

金融の仕事がどうしてもしたいという思いがあったわけではなく、まあ世間体も悪くないだろうから銀行にでも就職しておくかという感じでした。

銀行は2年で退職し家業の仏壇の漆塗りの仕事に従事するようになりました。

いろいろ事情があって途中でちょっと違う仕事をしていたこともありますが、 29歳からは転職する事もなく今の仕事で頑張ってます。

ちなみに、途中で家業をやめて就いた仕事は、会計事務所が別会社で中小企業のコンサルティングや人材育成を行う仕事でした。今から考えてみれば、これがすごくいい経験になりました。

30歳で結婚し、今年大学を卒業し社会人になった長男と大学3年生の次男の息子2人がいます。

結婚して1年後には子供が生まれ、それ以降はわき目もふらず仕事に励む毎日。

結婚して子供が生まれた頃が、仏壇業界も売上がピークでした。

漆塗りの仕事をしていますが、どこかで修行を積んだというわけではなく、父のもとで見よう見まねで仕事を覚えました。

父は職人としての腕は確かだったと思いますが、父自身どこかで修行を積んだとか弟子を育てたという経験がなかったため、息子である私が仕事を継いでもどう育てていけばいいのか分からなかったところがあったのではないかと思います。

それが、私が途中で違う仕事をしていたことの理由の一つであったかもしれません。

30代前半の頃、ちょっと病気をし1ヶ月ほど入院してた時期がありました。

病気をしたことから、食への関心が高まり農業にも関心を持つようにました。

安心して食べられる身体にいいもの自分で作りたいという思いにかられ、家庭菜園を借りて野菜づくりに励んだことも。

半分はものづくり半分は農業の半工半農というライフスタイルに憧れたのもちょうどこの頃。

私が30代後半になり仕事にも慣れてきた頃、父がアルツハイマーに冒されだんだんと仕事ができなくなってきました。

仕事に慣れてきたとはいえ、それまでは父の元で気楽にやっていたので、いざ父が仕事ができなくなるとさあ大変。ちょうどその頃は大きな仕事も請け負っていたので、休みもなく深夜まで仕事をする毎日。

半工半農の夢もどこへやら、家庭菜園をやる余裕もなくなってしまいました。

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昭和38年(1963年)滋賀県長浜市生まれ。 漆塗職人をやってます。お箸お椀から建造物の漆塗りまでオールラウンドにこなします。日本一の漆バカを目指し、日本初のうるしエバンジェリストとして漆の魅力を広く伝えていきます。

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