彷徨える漆塗り職人 2

父が病に冒され仕事ができなくなった頃、大きな仕事を請け負っており、自分が責任を持って仕事をしなければならずプレッシャーに押しつぶされそうになったこともありました。

しかし、いろんな方に助けていただいたり、技術的なことを教えていただいたりして、なんとか責任を持って仕事をこなせるようになってきました。
助けていただいたり、技術的なことを教えていただいたりしたのは、父が元気な頃から懇意にしてしていただいていた方 ばかりです。この頃になってようやく父に感謝の気持ちを持てるようになりました。

父の病状は年々悪くなり、私が43才の時に亡くなりました。

年々高価な仏壇が売れなくなり、売上は減少傾向にありましたが、修復の仕事などで仕事はあり、現在にいたるまで忙しくしています。

父は、私が家業を継ぐまでは仕事と並行しながら、漆芸作品を作り公募展に出品する活動をしていました。
職人としてだけでなく作家活動もしていたわけです。

父が作家活動をしていたことで父の仕事がクリエイティブなものに思え、私が家業を継ぐ決心をした理由のひとつになったことは間違いありません。。

父は作家活動をしていた事で各地に漆芸関係の人脈を築いておいてくれました。

そのおかげで、父が仕事ができなくなった時の苦境をなんとか切り抜ける事ができたし、今に至るまでいろんな面でお世話になっています

しかし、父は私が家業を継ぐようになってからはその作家活動をぴたりとやめてしまったのです。

はじめは何故作家活動をやめたの分かりませんでしたが、「作家活動では生計を立てる事は難しく職人として一人前になりその仕事を全うせよ」という事を自身の行動で示そうとしたのではないか、と父が亡くなってから思うようになりました。

父が元気な頃から、いつか自分も漆芸作品を作って公募展に出品したいと考えていたのですが、余裕ときっかけがなく作品作りに着手する事ができませんでした。

父が亡くなってから2年ほど経った頃、仕事も少しは余裕をもってこなせるようになっていたので、一念発起して漆芸作品作りに着手することに。

しかし、職人仕事しかしてこなかったので漆芸作品の作り方がわからない。

色々と情報を集め、自分が作ろうとしている作品の技法を教えてもらえそうな人が神奈川県におられることがわかり、その人に連絡を取り、月に一度神奈川県まで通いその技法を教えていただくことに。

一年ちょっと通い、いろいろと教わりながら、自分でも乾漆という技法で作品が作れるようになりました。

公募展出品用の作品作りにも取り組みました。

仕事も忙しく、昼間は作品作りに取り組む時間などありません。作品作りは夕食後に取り組みます。深夜まで作品作りに取り組んでいましたが、不思議と疲れは感じず夢中になって取り組んだものです。

うるしの仕事の楽しさと奥深さをより感じるようになったのもこの頃でした。

最初に取り組んだ作品は、日本伝統工芸近畿展に出品。入選し新人奨励賞という賞までいただくことができました。

毎日忙しかったけど充実した毎日。あの頃は気力と体力が充実してました。

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昭和38年(1963年)滋賀県長浜市生まれ。 漆塗職人をやってます。お箸お椀から建造物の漆塗りまでオールラウンドにこなします。日本一の漆バカを目指し、日本初のうるしエバンジェリストとして漆の魅力を広く伝えていきます。

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