長浜漆プロジェクトの経緯 その1

昨日のブログで

長浜に漆の木を増やす活動

長浜漆プロジェクト

のことを書いたが

長浜漆プロジェクトの現在に至る経緯を書こうと思う

今は長浜漆プロジェクトと名乗っているが

最初の頃は余呉漆復活プロジェクトと言っていた

プロジェクトと名乗って大層な感じもするが

実態はほぼ僕1人でやっているような細々としたものだ

余呉漆復活プロジェクトを始めるきっかけになったのは

日本産漆の国内最大の生産地である

岩手県二戸市浄法寺を訪れたことから

僕は30歳の頃より

家業の漆塗りの職人をやっている

仏壇の漆塗りが主だが

長浜の曳山の漆工品の修復も並行して手がけてきた

多くの曳山の修復を手がけてきたこともあり

全国の山車の修復を手掛ける技術者の組織であり

文部科学大臣認定の選定保存技術保存団体に認定されている

祭屋台等制作修理技術者会という団体の会員に認定されている

平成18年(2006年)に

祭屋台等制作修理技術者会に属する若手技術者ということもあり

文化庁の新進芸術家国内研修制度の研修生に選ばれ

漆芸の技術向上のために

自分で企画した研修を1年間行った

その研修の一環で

日本産漆の生産地視察という名目で

岩手県二戸市浄法寺地区を訪問した

浄法寺を訪問し

漆掻きの職人から

その職人が採取した漆を購入したことが

長浜漆プロジェクトが生まれるきっかけになったのだった

その当時

日本産漆の生産量は

年間1000kg程度で

日本国内の漆需要量の

1%程と言われていた

その当時手がけていた

仏壇や山車修復の仕事では

日本産漆使用を指定されることはなかったが

自分のこだわりとして日本産漆も比較的多く使っていた

年間数十キロの漆を使用し

そのうちの1割くらいは日本産の漆を使っていた

普段 漆職人が使う漆は漆精製を行う漆屋で購入し

中国産の漆とともに日本産の漆も

京都や福井、名古屋などの

漆屋から購入していた

浄法寺で漆掻き職人から直接購入した

日本産の漆は

僕に衝撃を与え好奇心をくすぐったのだった

その漆は

今まで使っていた日本産の漆とは違ったものだった

違ったというと語弊があるが

今まで使っていた日本産の漆に比べると

非常に扱いづらいものだったのだ

もともと好奇心が旺盛な僕は

それをきっかけに

もっと日本産の漆のことを知りたい

と思ったのだ

それから数年後

漆掻き短期研修制度で

1週間浄法寺に滞在し

漆掻きの研修を受けた

その2に続く

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昭和38年(1963年)滋賀県長浜市生まれ。 漆塗職人をやってます。お箸お椀から建造物の漆塗りまでオールラウンドにこなします。日本一の漆バカを目指し、日本初のうるしエバンジェリストとして漆の魅力を広く伝えていきます。

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