長浜漆プロジェクトの経緯 その7

余呉で昭和30年頃までは
漆掻きが行われていたという事実を知って
なんとか余呉の漆掻きを復活させたいと思い
始めたのが
余呉漆復活プロジェクト

始めたのは
2009年の秋に浄法寺から
帰ってきてから

その年の晩秋に
なんとか数本の漆の木を見つけることができたが
それ以降は
プロジェクトは進行しなかった

そうこうしているうちに
自分が大病を患い
余呉漆復活プロジェクトの活動は
休止状態だった

死を意識するような
大病を経験したことで
自分の中で意識の変化が起こってきた

自分は何のために生きているのか

限られた人生の中で何に時間を使うのか

そんなことを考えるようになった

あと何年生きられるかわからないが
残された時間のなかでやりたいことの一つが
余呉漆の復活

病気をする以前は
余呉漆を復活させて
その漆を自分で使って
自分の仕事に付加価値をつけたい
と考えていた

しかし

大病を経験して死を意識するようになって
その考えが変わってきたのだ

自分の損得関係なしに
長浜の漆文化が後世に残っていくように何かすることが
自分の役割かなと思うようになった

平成の時代に
長浜曳山まつりの
曳山の大修理が相次いだが
大半の曳山の修理に携わるご縁をいただいた

そのご縁のおかげで
自分自身の漆塗りの技術も向上し
漆塗りを生業として生活できるようにもなった

その恩に報いるためにも
長浜の漆文化が後世に残るように損得抜きで
やれることはやっていこうと
思うようになったのだ

長浜の漆文化は
長浜仏壇の漆塗りが主で
仏壇の漆塗りの技術が
曳山の修理にも生きている

しかし
生活様式の変化や
価値観の変化によって
仏壇の需要が激減し
仏壇の漆塗りの仕事も
絶滅の危機に瀕している状態になってきた

このままでは
長浜における
漆の仕事が絶滅する
長浜の漆文化がなくなってしまう

そんな状態のなか
長浜の漆文化を後世に残していく
ための方策の一つが
余呉漆の復活だ

そう思うようになって
知り合いの長浜市議会議員に相談したところ
余呉の民俗や植生に詳しく
丹生ダム建設予定地だった

小原という集落の
元住民の太々野功さんを
紹介してくれた

そして
太々野さんの案内で
漆の木を探しに行ったところ
何本かの
漆の木を新たに見つけることができた

何度も通っていたところにも

漆の木があった

この頃と前後して

SNSやブログで

余呉漆のことを書いていたので

地元の夕刊紙やミニコミ誌などにも

余呉漆のことをたびたび紹介してもらう事もあった

そんなある日の夕方

見知らぬ青年がうちの店にやってきた

彼はいきなり余呉漆のことを尋ねてきた

余呉漆のことを書いた僕のブログを読んでくれたようだ

話を聞くと

岡山県で

漆掻きをしたり

漆の植栽をしているとのことだった

しばらく話していたが

時間は夕刻

今夜はどうするのかと聞いたら

岡山に向けて帰るが

途中で車中泊するつもり

とのことだった

それなら

うちに泊まっていかないか

と提案したら

快く受け入れてくれた

その夜も

酒を飲みながら

漆の話をした

次の日も特に予定がないとのことだったので

余呉を案内することにした

岡山で岡山で漆掻きをしている青年を

車の助手席にのせ

余呉で既に見つけた漆の木を案内するとともに

新たな漆の木を探した

現役で漆掻きをしているだけあって

彼は何本かの漆の木を見つけてくれた

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これで

全部で20本ほどの

漆の木が見つかった

余呉漆復活プロジェクトが前進した

その8に続く

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昭和38年(1963年)滋賀県長浜市生まれ。 漆塗職人をやってます。お箸お椀から建造物の漆塗りまでオールラウンドにこなします。日本一の漆バカを目指し、日本初のうるしエバンジェリストとして漆の魅力を広く伝えていきます。

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